「アルファにしてオメガ」。このタイトルはかなり前から頭にあった。新約聖書のヨハネ黙示録からきているが、「はじまりにして終わり」、これほど自分の中で芸術における絵画を言い表すのにしっくりくる言葉はない。絵画こそ芸術のはじまりにして終わりなのだと(真の美術愛好家なら誰しもそうだろうが、自分は絵画至上主義だ)。ちょっと大げさで、我ながら酔ったタイトルだなと悦に入りながら、いつかそんなタイトルの絵画展をとかねてから夢想していた。
展覧会を具体的に考えはじめたのは二年前の夏に富士吉田市にある大野智史さんのスタジオで福永くんの作品を見たのがきっかけだった。本展でも出品している絵画を見てなぜかピンときた。このときすでに石井くんの作品は何枚かコレクションしていて、二人の作風はかなり違うものの、独特の聖性みたいなものが共通して感じられ、二人の絵を同じスペースで見てみたいなと素朴に思った。ときは満ちた。「アルファにしてオメガ」だ。
最初は、都内のホワイトキューブでよくあるスタイル、つまり「これまでの美術様式」でやろうと考えていた。京都の「光スタジオ」さんの協力を得て、二人にデザインしてもらったネオンもできあがり、開催は五月くらいかなと考えながらそのつもりで準備をはじめようかという矢先、あれよあれよという間に新型コロナはパンデミック。リーマンショックに続いてブラックスワンはまたも羽ばたき、世界は一変してしまった。
閉ざされる国境、志村けんの死、日々増加する感染者数、欧米から届くショッキングな映像、五輪延期、緊急事態宣言、ステイホーム……。凄まじいことになったなと呆然としながら、家に閉じこもり、延々とプレイステーションの日々。
緊急事態宣言下の五月前半、気分転換のために妻と、三月に知人からたまたま譲り受けていた長野の別荘に向かった。東京から地方へ向かう若干の背徳感を負いながら。いつもは人でごった返す談合坂サービスエリアに人影はほとんどなく、店舗の大半は閉まっていた。高速はガラガラで、輸送トラックすら走っていない。まるでレースゲームのチュートリアルモードみたいな光景を目の当たりにし、事態の深刻さを再認識した。経済的にも相当な落ち込みがくるだろうことは明らかだった。
別荘がある長野県南相木村は、標高が高く、風景が開けていて、自然が多く、人はまばらで空気がやたらうまい。東京では近所のスーパーに行くのにもウィルスの見えない恐怖からなんか嫌な感じがしたものだが、それがまったくない。森林でひさびさに開放された気分に浸りBBQとテントサウナを堪能しながら「コロナで都市はオワコン」がこの頃の口癖だった。「野外」を漠然と意識しはじめたのはこのぐらいからだ。
そうこうしてるうちに新規感染者数が落ち着いてきて、緊急事態宣言は解除。法的な強制力なしでここまで減らすなんて日本人の自粛力ってすごいなと半ば感心しながら少し怖くなった。ただ台湾・香港みたいに新規ゼロが数週間続くところまで持っていくのかなと思っていたが、そうではなく「新しい生活様式」とともに「共生」を選んだらしい。新型コロナと共生なんてできるのだろうか、少ししたらまた増えるだろうなと思った。
そんな状況下、二人には言いづらかったが、「アートとか言ってる場合じゃなくなったよね」が自分の本音だった。想定していたホワイトキューブでの展覧会なんて密の最たるもので、まず人は来ないだろうし、というか来てほしくないし、万が一クラスターでも発生したら洒落にならないし、そもそも根本的に公衆衛生倫理に反するような気がして仕方がない。しばらくすると、逆にこの時期に完膚なきまでに倫理に則った展覧会とはなにかと考えはじめた。三密完全回避で限りなく感染リスクゼロの「新しい美術様式」は可能だろうかと。
そこで出した答えが、「野外」と「オンライン」だった。野外はアリだとしても、そもそもオンライン展なんて実際に鑑賞するよりずっと体験として劣るだろうし、それが例えばVRだとしてもあまり変わらないといまでも思う。それでも嫌味なくらい過剰に倫理や感染対策に執着する点が新しく面白いように思えて、この状況下で美術展をやる意味みたいなものがようやく見えた気がした。情報が出回って万が一お客さんが来ても困るので宣伝は一切せず、DMは会期直前に送り、視聴するウェブサイトはパスワードつきの招待制。さらに二日間の夜間限定。この過剰すぎる配慮に同時代的な妙味を見出しはじめていた。
会場である瓜破石庭公園がある山形県東置賜郡高畠町は、十八歳で上京するまで過ごした土地だが、公園にまともに行ったことはなく、都会の人にけっこう人気があって去年野外音楽イベントがあったらしいくらいの認識だった。ウェブで検索してみると、元々石切場だったこの公園は、高い断崖に囲まれた広場や人工洞窟がゆるやかに連続しながも空間として独立してあり、野外美術展の規模としても丁度良く思えた。また、やはりグロッタを思わせる洞窟の存在が大きかった。バタイユの「ラスコーの壁画」を引くまでもなく洞窟と聖性と絵画は文脈的に分かちがたく結びついている。コロナ禍のさなか、絵画ははじまりの場所に帰還する。まさに「アルファにしてオメガ」だった。
作家の了解を得て、さっそく親父に相談するとたぶん使えるだろうとのこと。その後町役場の協力もあって、実際に使えることになった。ただし、体裁として展覧会ではなく撮影と説明して通った企画で、そのつもりもなかったが、一般客入りを想定した展覧会として提出していたらどうだっただろうか。例の野外音楽イベントは今年中止になっている。ちなみに東京の美術館は当時すでに「これまでの美術様式」でたいした制限もなく開いていた。どちらがどうこうと言うつもりはないが、それが現実だった。
七月に入ると、案の定感染者数の再増加があり、ふたたび緊張が高まってきていた。そんな中だったが、三人で淡々と下見と準備を進め、洞窟では福永くんが絵画を壁に並べ、途中の岩壁や奥の断崖で石井くんが映像を投影することに決まった。準備中、母が病弱なこともあり、実家では両親の要望で、大部屋とトイレと露天風呂だけ利用するというちょっとした隔離生活を強いられた。作家に悪いなと思いつつも、田舎特有の現実や思考様式が手にとるようにわかる自分もいて、新型コロナの厄介さが身にしみつつ、「新しい美術様式」への思いを強くした。
八月二十七日、本番に向けて、二トントラックとステーションワゴンに乗って石井くん福永くん宇佐美さん自分とで山形入り。その後、片山さんと手塚さんに続いて、三宅さんが到着。万が一にでも東京から地方に感染を広げないために作家やスタッフはテント暮らしという徹底ぶりもまた「新しい美術様式」実践の一環だった。期間中、八月末の山形としては異例の猛暑で、体調不良になる人も出る中、親父が経営する会社の従業員の手を借りながら作業を進め、なんとか本番を迎えた。
撮影という体で開催にこぎつけた野外美術展「アルファにしてオメガ」だったが、誰も呼んでいないので、当然誰も来ない。作家とスタッフと若干名のゲストだけがいて、発電機の騒音が鳴り響く暗闇の中で、自分はBMPCC4Kで動画を、宇佐美さんはキヤノンの一眼レフで静止画をひたすら撮影した。それらを見ていただければだいたいの展示空間の様子はわかると思う。二人が作り上げた展示は見事だった。石井くんの文字通り身体を張ったパフォーマンスは魂を震わせるものがあったし、洞窟の石壁でランタンに照らされた福永くんの絵画はこれまでとはまた違う妖艶さと崇高さを漂わせていた。会場での二人の佇まいはどことなく聖職者のようでもあった。
一方、ここまで力を入れて丹念に準備して観客がいない展覧会はどこか虚しく奇妙に思えたのも事実だ。本来ならもっと多くの人に実際に見てもらえたらとの思いがないと言えば嘘になる。だが、それでも、これは現実に抗った末につかんだ果実であり、いまこういう形でやるからこそ意味があったし、この時代この状況だからこそ生まれた展示であることは確かだ。「新しい美術様式」の形を提示できたと主催者として自負している。
2020年8月末、新型コロナのパンデミックがなければいまごろ、日本人はこれまで通りの生活様式をつづけたまま、五輪の余韻に浸りながらも日常へと戻り、「アルファにしてオメガ」もどこかのホワイトキューブで何事もなく開催されていたはずだった。その到来しなかった過去と未来への喪の儀式のような、失われた世界線を追悼するにふさわしい展示を実現し、実際に目にし、映像を記録し、オンラインアーカイブとして発表できたのはこの上なく幸福なことだったような気がいまはする。少なくない金と時間と労力がかかったが。
主催者 秋葉大助
今年の3月からは自宅にいることが多かった。理由は周知の通りだが、まさかこんなにも人と会うことが無くなるなんて思っていなかった。その当時何をしていたのか、あまり覚えていないが、だいたい子育てをしていた記憶がある。大学の授業を自宅からオンラインで行ったり、勿論制作活動もしていたが、一番ピンと来るのが家族と過ごした時間だ。保育施設も閉まっていたし、公園の遊具も使用不可になっていたし、モールも閉まっていて、子連れで行く場所は殆どなかった。現代の社会全体が体験したことのない危機に直面しているという感じがした。それも自分が住んでいる北千住だけではなくて、世界中の至る場所でその様な状況になっていて、楽観できる要素は日に日に少なくなっている様だった。生物科学兵器が管理ミスで漏れ出したという説や、都市と自然の距離が極端に無くなった結果(つまり自然破壊が原因だ)という説、家畜の飼育施設が不衛生過ぎたという説などを耳にした。私にその理由が分かる筈もない。ずっと家にいることが多かったけど、子供と近所の神社とかにはよく行った。でも、結局は自転車に乗って10分くらいの距離にある荒川の河川敷に行くことが増えた。金八先生の舞台となっている場所で何をして遊ぶかを探した。河川敷で蟹が群生している場所があって、そこで蟹を捕まえて遊んだ。毎日毎日荒川で蟹を捕まえて家に連れて帰ることが常態化し、家の玄関には蟹が沢山いた。最初は近づくと素早く身を隠していた蟹も、何日かすると動きが緩慢になって、触ってもあまり逃げなくなっていった。
山形県の瓜割に来たのは7月半ば頃だったと思う。友達の秋葉さんが彼のご実家に、私と福永さんを連れてきてくれた。福永さんと私は予備校時代から切磋琢磨している作家仲間である。しかし、現在まで一緒の展覧会に参加したことはなかった。今年開催される予定だった展覧会は全て来年以降に延期になっていた。私は当面の具体的な目標を失っていたし、自宅のアトリエも通常営業で制作し続ける雰囲気でもなくなっていたと思う。今は単純に何かを生産する時期ではない、という感じがしていた。秋葉さんは、私と福永さんの絵画の2人展を銀座で企画しようとしていたが、それもコロナで決定的にリアリティーを失っていた。3蜜ではない場所と深く考えた訳ではないけど、野外展をすることになった。でも山形に行った頃は東京でコロナの第二波が始まりだして、東京から来た僕らが人に会える状況では全く無くなっていた。野外展で山形だけど無観客、オンライン展をしようということになった。瓜割石庭公園は、最近まで石切場だった場所らしく、小さい山が垂直に削り取られていて、大きく岩肌が露出していた。垂直な岩壁の頂上には木々が生い茂ってていて、山の中身ってこんな感じになっているんだ、と思った。この土地の地層と直に対面している様な感覚もあった。石切場には岩壁の内部をくり抜いた洞窟の様な空間や、四方を岩壁に囲まれて上方向だけが抜けている空間があって、そこを福永さんと私で各自使って展示しようということになった。
「アルファにしてオメガ」という展覧会タイトルを考えたのは、秋葉さんだ。一神教的な展覧会タイトルで私には正直言ってあまり馴染みがない。その理由を何回か聞いたことがあるが、結局良く分からなかった。しかし、こだわりがあるのは分かって、彼もそこは譲らなかった。コンセプトは彼が書いたステートメントを読んで欲しい。展覧会タイトルや場所、参加作家を決めたのは彼だが、この展覧会の面白いところは明確な企画主体というものが、進行中の段階では曖昧だった点だ。その理由は遊び半分、という所にある。バタイユのラスコーの壁画をパラパラと読んだら、ホモー・ルーデンスという人間の呼び名があった。遊ぶ人、という意味でラスコー人は遊ぶ人であるが故に壁画を描いた、ネアンデルタール人は労働の人で遊びを知らなかったから、彼らは壁画を描かなかった。芸術というものはラスコー人の遊びから生まれたのだ、というのがバタイユの考えの様だった。しかし、最近の地質学的な調査では洞窟壁画が描かれたのは、以前考えられていた3万年よりもっと古い7万年前くらいからで、ネアンデルタール人が壁画を描かなかったというバタイユのそこの所の考えは、多分間違っている。ネアンデルタール人も遊んだのだろうし、私たちも遊びながらこの展覧会に至った、ということでここは良いだろう。
東北の夏は涼しいと聞いていたが、猛暑の中で吹き曝しの現場でのキャンプ生活は、楽しいというものではとてもなかった。北千住以上に暑かったし、雨も降った。勿論思い出にはなるだろう。そして、全世界のコロナ禍の状況は今でも変わらない。
石井友人
この展覧会に至るまでの詳細な経緯については石井くんのテキストを参照してもらいたいが、遡ること2018年の終わりくらいからこの企画はふつふつと立ち上がっていたのでかれこれ二年近くの助走期間があった。その間企画者の秋葉さんとアーティストの石井くんと何度か打ち合わせを重ねたが僕には展覧会イメージが最後の方まで掴めなかったのだが、秋葉さんには見えていたようだ。
今年に入り具体的に展覧会の日程も決まりかけた頃、世界がコロナに侵された。僕はバイトも減り、毎日自炊し少し運動して制作に向かう。煩わしい付き合いは無くなりシンプルで合理的な生活に人の自然な暮らしの在り方を感じた。人間が一人生活する上での必然性の充足感とは案外こんなものなのだと。しかし、それもつかの間で誰にも会わずただただ一人で生活をこなすことに人としての退化のような危機的なものを感じた。そうしたこともあってかどうかは分からないが、勿論コロナ禍という事もあるが通常のギャラリーでの展示ではなくとりあえず野外で展示をするという流れになっていった。
展示会場の山形の瓜割石庭公園の石切り場を訪れた初見の印象は幾つかのサイトに 別れてて、上空が吹き抜けてそびえ立つ巨大な岩壁の断面に囲まれた空間、大きくキューブ状にくり抜かれた洞窟の様な空間、それぞれに構造的な特色があり全体としてとてもユニークな空間だった。僕はペインティングを出すことになっていたのでキューブ状の空間を担当することになった。洞窟の様なとは言ったが、正確にはむしろ集会場の様な(実際普段はイベント時には集会場に使われている)完璧なキューブの空間で、削ってくり抜かれた岩山の自然物であるのと同時に石切り跡というとても人工的な空間でもある。内部の上下左右の壁には石切りの機械によって刻まれた無数の線刻が生々しく残されており、それがこの空間の水平垂直をさらに強調していることによって西洋建築に見られる教会のような建造物にも思える。しかし同時に石切り場跡の廃墟でもあり、紛れもなく穴=洞窟というイメージからも逃れられないし、ここに絵を掛けるということは嫌でも洞窟画を意識せざるをえない。今回はモップ、掃除用具が有機的に描かれたペインティングを対称的に五枚掛 けて二個のランタンの光で照らした。当初の思惑としては労働によって使い古された有機的なモップ・掃除用具のイメージと石切り作業によって残された線刻の事象が同じ労働による痕跡という事において呼応し合うというようなテーマがあった。しかし実際に絵を掛けたらモップ・掃除用具などのイメージは意味を失い絵画の形象と色彩だけが残り、周りの石壁の線刻がより意識され空間がまさに有機的に生き生きしてきたように感じた。壁に絵画を掛けるという行為が壁と絵の相互作用を生じさせその空間を一体化させる。そしてそれは洞窟画、教会画という線上にわずかに触れるような出来事でもあるように感じた。
福永大介
α 石井友人 Ω 福永大介
目に見えないものを見てみたいという欲望は、誰しもが持つかもしれない。ある時、気がついたらアマゾンで顕微鏡を注文していた。小学生の時の様に植物の葉脈を見たり、色々なものを観察した。好奇心から人間の身体内部にある、血液や母乳、精子を採取し観察してみると、意識とは無関係に身体を構成する、様々な運動が実際にそこで起こっていた。中でも自分で採取した精子を可視的なものとして初めて見た時は、とても興奮した。精子は普段は吐き出される様に存在していて、何かゴミの様にも感じられたりもするが、自分が排出した白濁した液体の中で、こんな魚の様なものが蠢いていると思うと、尊い気持ちになった。精子がムニョムニョと鯉やおたまじゃくしの様に泳ぐ様子をみていると、性的な欲望とは何なのか納得がいった気持ちがした。そこには外殻を打ち破り、内側へと向かう強い衝動がある。この強い衝動を瓜割の岩壁に投影してみたいと思った。それは石切人の石の内部へと向かう感覚と少し似ている所がある気がした。有機体である精子の動きとその映像を受け止める無機物である岩石の関係性は、以前どこかで読んだ半身という概念を思い起こさせた。勝手な解釈をすれば、生殖というシステムの中には、自分自身の死が同時に内包されている、というものだ。
石井友人
瓜割の空き地に、7月から山形に住んでいる友人のアーティストのお子さんに来てもらい、そこで石を採取してもらった。採取して貰った石をスキャナーの上に並べて貰って、それを映像化した。本当は現地の子供達を集めて、一斉に石を並べて貰い、石の映像を集団で作る予定であったが、コロナの影響で難しかった。今回展示した「Sub image (garden of jouissance5)」はその映像を絵画化したものだ。因みにパフォーマンスで投影された映像も全てこの映像を使っている。私は子供が石を並べる光景を日常的に見ることが多かった。子供は、人間の身体とものの潜在する関係性を、いつでも全力で引き出している。瓜割のそこら中に落ちている石をよく見てみると、石切場で切り出された石の破片であることがわかった。これらの石は石切人の石への行為の結果生まれたものだろう。石切人は石を切り出す際、ノミを通じて石の内部を感じとる(勿論、機械を使用することも多いと思う)。石の内部は石切人によって感覚化され、人間も石の内部へと入り込む。石と人間はここでは繋がりあっている様に思える。そのような関係性が、瓜割に散乱する石の破片にはあり、その場に偏在していると感じた。石を切り出す石切人と、石を並べる子供が、実在性が希薄な映像的なものを変質させるきっかけを作ってくれた。私はその変質した映像的なものを入り口として、ようやく実体的に感じられるものに触れることが出来ると思った。絵画はその感触の軌跡でもある。
石井友人
この作品は私にとって初めてのパフォーマンス作品である。パフォーマンスをしている間は、真っ暗闇の中から放たれるプロジェクターの光輪、映像を受け止める自分の身体、映像が投影される背後にそびえ立つ岩壁、そして自分の身体の影しか見えなかった。映像的なものは現象であり、実在性が希薄であると感じられることが、普段の私にとって、とても多かった。日常的な都市生活ですら、その映像的なものの範疇にあるように感じるようになっていた。イメージという言葉は極めて抽象的な言葉であるが、それでも敢えてこの言葉を使うのであれば、イメージと実体とはかけ離れたものであり、実体的なものは凡そ遠くにある、という古典的とも言える感覚が、この作品を制作した動機の一つである。それは普段私が絵画を制作する際の動機と重なる。パフォーマンスをした場所は四方(厳密には3方)を岩壁に囲まれるような形になっており、上空だけが開かれている。夜になると空も暗くなり、穴の中、洞窟の中にいるような感触を持った。私は穴の中で、洞窟の中で、眼球の内部に、カメラの内部に入り込む構造を考えた。石は映像的なものの対極にあるように感じていた。時としてイメージと実体とが別ものであると感じられる、その空間へと身体ごと入り込み、間の人となろうと思った。
石井友人
左より 福永大介 石井友人 長谷川新 横山奈美
1981年 | 東京都生まれ |
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2006年 | 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了 |
2019年 | 「享楽平面」CAPSULE (東京) |
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2017年 | 「未来の家」Maki Fine Arts (東京) |
2011年 | 「『複合回路』認識の境界」Gallery αM (東京) |
2020年 | 「アルファにしてオメガ」瓜割石庭公園(山形) 「それぞれの山水」駒込倉庫(東京) |
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2019年 | 引込線サテライト「距離と伝達」gallery N,(愛知) |
2018年 | 「SURVIBIA!!」デジタルハリウッド大学(東京) 「反動」SpaceTGC(東京) 「新朦朧主義5」北京清華大学美術館(北京、中国) |
2017年 | 「ファルマコン:医療とエコロジーによる芸術的感化」The Terminal Kyoto(京都) 「ニュー・フラット・フィールド」デジタルハリウッド大学(東京) |
2016年 | 「グレーター台北ビエンナーレ」NTUA(台北、台湾) 「新朦朧主義 4」798 芸術工場・BTAP(北京、中国) 「アダチデルタ」アダチデルタ(東京) |
2015年 | 「引込線 2015」旧所沢市立第2学校給食センター(東京) 「わたしの穴 美術の穴」Space23°C(東京) 「新朦朧主義 2」Red Tory Museum of Contemporary Art, Guangzhou(広州、中国) 「大和コレクションVII」沖縄県立博物館・美術館(沖縄) 「Innocence」Temple du gôut(ナント、フランス) |
2014年 | 「パープルーム大学II」熊本市現代美術館(熊本) 「新朦朧主義 2」798 芸術工場・BTAP(北京、中国) 「パープルーム大学」YAMASHITABILDG(愛知) 「夏と画家」アラタニウラノ(東京) |
2013年 | 「Biennial Open Exhibition」NN Contemporary(ノーザンプトン、イギリス) 「ILYAURA The Window」The Window(パリ、フランス) 「DAY(s) Dreaming」59Rivoli(パリ、フランス) 「SOMANYIMAGES」Sprout Curation(東京) |
2012年 | 「Pandemonium」XYZ Collective(東京) |
2011年 | 「4人展」シュウゴアーツ(東京) |
2008年 | 「15years」WAKO WORKS OF ART(東京) |
2007年 | 「Portrait Session@NADiff」NADiff(東京) 「Portrait Session」広島市現代美術館(広島) |
2006年 | 「二人展」WAKO WORKS OF ART(東京) |
2005年 | 「from/to #3」WAKO WORKS OF ART(東京) |
1981年 | 東京都生まれ |
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2006年 | 2004年多摩美術大学美術学部絵画科油絵専攻卒業 |
2015年 | 「Documenting Senses ーイヌではなくネコの視点によってー」小山登美夫ギャラリー(東京) |
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2013年 | 「ノスタルジア」小山登美夫ギャラリー(京都) |
2011年 | 「何かを味方にすること」小山登美夫ギャラリー(東京) |
2008年 | 「Local Emotion」小山登美夫ギャラリー(東京) |
2006年 | 小山登美夫ギャラリー(東京) |
2020年 | 「アルファにしてオメガ」瓜割石庭公園(山形) |
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2019年 | 「island」アートラボはしもと(神奈川) |
2018年 | 「SUPER OPEN STUDIO 2018」LUCKY HAPPY STUDIO(神奈川) 「大野智史スタジオエキシビション」大野智史スタジオ(山梨) |
2017年 | 「waiting in vain」statements(東京) 「COOL INVITATIONS 4」XYZ collective(東京) 「Sayonara Jupiter」356 Mission(ロサンゼルス、アメリカ) |
2015年 | 「タグチヒロシ・アートコレクション パラダイムシフト てくてく現代美術世界一周」岐阜県美術館(岐阜) |
2014年 | 「小山登美夫ギャラリーグループ展」TOLOT/heuristic SHINONOME(東京) 「絵画の在りか」東京オペラシティ アートギャラリー(東京) |
2013年 | 「であ、しゅとぅるむ」名古屋市民ギャラリー矢田 第1展示室(愛知) |
2011年 | 「GOOD NIGHT MIHOKANNO」アキバタマビ21(3331 Arts Chiyoda内)(東京) 「FM『REISSUED WOMEN』 デヴィッド・サーレへのオマージュ」Sprout Curation(東京) |
2010年 | 「4人のペインティング」小山登美夫ギャラリー(京都) |
2009年 | 「現代美術の展望 VOCA展 2009 -新しい平面の作家たち-」上野の森美術館(東京) 「 TEAM 15 MIHOKANNO『Hello! MIHOKANNO』」トーキョーワンダーサイト渋谷(東京) |
2008年 | 「AFTER THE REALITY 2」Deitch projects(ニューヨーク、アメリカ) 「Vrishaba through Mithuna - 松原壮志朗 キュレーション」hiromiyoshii(東京) |